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262710朝[ヤシロです。]
[背景:一矢家玄関]
俺は今、玄関前の扉の前にいる。それを開けようとしている。
[背景:ブラックアウト]
……何故だろう、この胸の高鳴りは。
血流が心臓から手先足先まで流れていってるのが感じるようにわかる。
漫画でよくあるだろ?
ドクンドクンって効果音が書かれているシーン。
そんな感じだ……。
[背景:一矢家玄関]
別に扉を開けた先に待っているのはいつもの光景のはずだ。

何故、戸惑う?
[背景:ブラックアウト]
単に興奮しているのか?
怒り? 悲しみ? それとも喜びか?
……どれも当てはまらない。ただ高揚はいつまでも続いている。まるで警鐘のように。

何故、戸惑う?
[背景:一矢家玄関]
恐れるな、この扉の先になにがあろうと。迷うな、才木一矢! この高揚をも味方にするんだ。
さあ、開けるんだ……その扉を。受け入れるんだ、この扉を開いていつものように太陽に照らされた場所へ!

俺はごくりとつばを飲み込む。そしてドアノブに手をかけ、扉を開ける。
明るいその地面へと足を一歩踏み入れる……。

…………。

[背景:自室 朝]
それは今から40分前。
ユサユサと身体が揺すられ目が覚める。
七心
「いーつーやくぅん。もう、起きてよ―」
一矢
「ムニャムニャ」
七心
「今日は遅刻したらまずいよー」
七心
「だって今日は……」
一矢
「んぁ、そーいや……そうだな」
俺は毎日のように遅刻をしているが、今日は遅刻をするわけにはいかない。
今日はあの日だからだ……。
なんとか体を起こそうと努力はする……が、駄目。
脳が、体が、惰眠を欲している。
あと300秒、いや贅沢は言わない。あと5分あれば……。
七心
「一緒だよね?」
七心が人差し指を頬に当て回答する。
一矢
「……人の心を読みやがって」
七心
「全部口に出してたよぉ」
一矢
「あ〜……俺にかまわず先に行ってくれ……。後から追うから」
ホラー映画だとこういう時、必ず俺が死ぬことになるのだが、ここは現実でそして俺の家だ。死ぬ要素がない。
大丈夫だ。
七心
「大丈夫なのかなぁ?」
心配そうに七心は俺を見つめる。
正確には布団の中にいる俺だが。
一矢
「俺を信じろ……」
七心
「声を強めても布団被ったままじゃ迫力も説得力も無いよぉ」
逆効果か。
七心
「もう、私も怒られたくないから、今日は置いてっちゃうからね!」
一矢
「校門前でまた会おう……」
七心
「じゃあ、先に行くからね! 食卓の上にパンとコーヒー用意してるから食べてから来るんだよ!」
一矢
「へいへい…………」
[SE:扉の閉まる音]
部屋の扉が閉まる音がする。
ふう、やっとうるさいのが出てってくれたか。
安心しろ、追いついてみせるから。
だいたい七心は歩く速度が遅い。
本来ならもっと遅く出ても間に合うはずだからな。
付き合わされる身に……も……。
あ〜だめだ……思考能力も低下してきた……。
あと5分だけ……あと……5……ふ…………。

…………。

目を開ける。
掛け布団から這い出る。
5分……か。人間すごいもんだ。
たった5分だけでも休めば体は快調になる。
ああ、実に清々しい! 朝って人をこんなにも晴れやかにしてくれるなんて。
さて、顔洗って〜、制服に……あれ……。
あるものをじっと見る。
……ふう、はてさてどうしたもんか……。
……始業チャイム15分前か…………。
わるいな七心。
お前との約束は、守れそうにない。

[背景:通学路1]
そして現在。
一矢
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ」
と叫んでいるのはもちろん心の声だ。
登校中声を出しながら走るなんてアホだ。
……っとそんなこと考えてる暇なんぞ無い! 急がなきゃ遅刻してしまう!
まさか、7倍の時間を費やして寝てしまっていたとは!
全力で走ってはいるがこれでも間に合うかどうかわからない。
いや、いつもは遅刻してもいいんだよいつもは!!
だが今日はまずい! 実にまずい! まずすぎる!!
なにがまずいって今日の校門で待ち構えている奴が……。
一矢
「ぐっ!!」
やべ、声を出してしまった。我ながら恥ずかしい……。
ってそんなことを考えてる暇はない。この下腹部から感じるこの感覚は……。
押し寄せる怒濤の

尿意ッ!!!

こ、こんなときに膀胱が離反するとは!
今は一致団結してこの危機を乗り越えようとしている時にっ!
そういえばかつての武将、石田三成も逃亡中尿意を感じ、小便をしているときに捕まったんだよな……。
石田三成殿! 今の俺は貴方の無念が尿意を通じて伝わりまするぞ!
石田三成
「尿意で? 勘弁してくれ」
……なにか聞こえた気がするが、気のせいだろう。
……つっ! ……くそ! ……また暴れだしやがった…………。
……し、静まれ……俺の膀胱よ……猛りを静めろ!! 今お前を解放するわけには……。
くそっ、尿意が俺の足の動きに影響するし、まともに走ってなんかいられない。
かといって、近くの公園のトイレで小便をする時間なんてあるのか!?
ええい、男一矢! くじけるな! たかが尿意の一つや二つ! 乗り越えてみせろ!
学校のトイレよ、俺が今ゆく! だからちゃんと迎え入れろよ!

[背景:公園のトイレ]
[SE:ションベンの音]
[ウェイト:3秒]
乗り越えられませんでした!

だが高校3年生として、
一人の男として……お天道様に顔向けできない最悪の事態は阻止できた。
俺の判断は間違ってはいない、と思いたい。
はぁ、もしこれがゲームで七心のところで選択肢があったらな……。
たとえばこんな風に……。

[背景:自室 朝]
――ユサユサ。
七心
「いーつーやくぅん。もう、起きてよ―」
一矢
「ムニャムニャ」
七心
「今日は遅刻したらまずいよー。だって……」
一矢
「んぁ、そーいやそうだな」
俺は毎日のように遅刻をしているが、今日は遅刻をするわけにはいかない。
今日はあの日だからだ……。
なんとか体を起こそうと努力はする……が、駄目。
脳が、体が、惰眠を欲している。

★選択肢★
あと300秒、いや贅沢は言わない。あと5分あれば……。
今日は絶対遅刻できない。七心と一緒に登校する。

[背景:公園のトイレ]
……みたいにな。
そういう選択肢があったら俺、絶対下を選んでたぜ?
なんでそんな選択肢を現実では用意できないんだろうな。
絶対手ぇ抜いてるよな、もしこの世界がゲームだったら。
そんなに俺が怒られる所を見たいのか?
サドだぜサド。このゲームの制作者。
付き合ってられるかばーか。もっと俺に優しくしろ!
18禁ゲームに仕立て上げるぞこの野郎。
はぁ、そんなこと行ってる場合じゃなかったな。
社会の窓を閉めて手を洗いトイレから出ようとしたとき……。

ここがハッテン場ということに気づいた。
俺は早くここから立ち去ろうと全力でトイレから出た。
しかし、2人の男に個室トイレへ拉致された。
そして……。
…………ブスり。
アッ―――――――――――――!!!

[背景:公園のトイレの外]
……ごめんなさい、もう言いません。
そっちの18禁は勘弁して下さい。お願いします、いや本当に。
……急がないとな。
小便をして少し体が軽くなり、目も覚めた分、さっきより足取りが軽い。
だがそのせいで遅れを取ったのも事実。
取り戻そう、そして遅刻を回避するんだ。
[背景:信号]
目の前に信号が見える。
その信号はいまは青に点灯しているが、いつ赤になるかわからない。
まずいな……、ここを通過できないと……絶対に遅刻だ!

と、その時、後ろからスッと俺の横を颯爽と抜き去る影が!
速い! 足音なんて聞こえなかったぞ!? 一体誰だ?
その影のようなモノをよく見る。
あ、あいつは……間違いない、矢代操だ。
神さまはまだ俺を見捨ててはいなかった!
あいつは常にギリギリで学校にやってくるが、今まで遅刻したことのない奴なんだ。
なんで知ってるかだって?
あいつも3年A組! 同じクラスだからだよ!
……んまあ永二がいってたのを聞いただけだが。
つまり、その矢代がまだ走ってるっつうことは、まだ遅刻じゃないってことだ!
矢代は既に交差点を渡りきろうとしている。
一方の俺は、やっと中間の安全地帯の所。
ああ、ついに信号は青が点滅しだした。ええい、ままよ!
あいつに追いつくため、さらに体に鞭を打ちなんとか信号を渡りきる。
ふぅ……。
なんとか赤信号になる前に渡りきれた。

[背景:通学路2]
あれ? あいつペースを落としたぞ。よし、追いつくチャンスだ!
目標まで後5m……。
4m……。
3……。
2……。
1……並んだ!
目標の顔を肉眼で確認。
矢代 操! 本人と断定!
一矢
「よ、よお! ……はぁ、はぁ。矢……しろ」
元気に挨拶しようとしたが無理だ。呼吸が整わない。一方で矢代も俺に気づいたらしく。
矢代
「おお、才木じゃねえか。随分息荒れてんなー。遅刻か?」
息切れ一つ無くひょうひょうと話してきた。
なんて爽快な顔をしてらっしゃるのか!
いやいや、俺は知ってる。こいつはさっきよりペースダウンしているんだ。
こいつもそれなりに疲れてるはずだ! 無理するからこうなるんだ。
一矢
「俺も、ゼエゼエ……遅刻ならお前も……ハアハア……じゃねえか」
矢代
「はあ? なんでだよ。今日は門番、小早川なんだぞ。遅刻してたまるかっつうの」

そう、俺が今日こんなにも遅刻で焦ってる理由。
よく校門の前に立って服装とかチェックするセンコーがいるだろ?
今日は俺ら生徒の天敵、常に赤いジャージを羽織っている所から通称『朱の小早川』と呼ばれた生活指導の小早川が見張り番として君臨しているのだ。
『聳える小早川、全校生徒を焦らす』ということわざまで作らせちまった悪鬼だ。
そうなんですよ! 三成殿、あの小早川ですよ!
石田三成
「まだ自分を引っ張るの? もう勘弁してくれ」
…………なにか聞こえた気がするが気のせいだ。きっと疲れてるんだ。
とにかく矢代について行けば、遅刻は回避。無事に今日の学校生活は何事もなく過ごせるはずだ。
呼吸も苦しい……だけどそれは矢代も一緒。このペースなら……俺は助かる。
よし! ここの曲がり角を越えれば後300m。現時刻は不明だが、矢代の動きから間に合うと確信。
と、ここでまさかの出来事が起こる。
矢代
「じゃ、おっさきー」
矢代が……速度を急に上げた!
バカな! 今まで俺を騙すためのブラフだったのか!?
……あ、忘れていた。
こいつ、何故か異様に足が速いんだった…………。
くそっ、まずい! 俺の方は既にガス欠だっていうのに、矢代に追いつけるだけの体力はもはやない……。
1m……。
2m……。
だんだん矢代との差が開いてゆく。
矢代をペースメーカーに利用する作戦はもう使えない。
こうなったら作戦変更だ!

……先人は言った。
『一本の矢は折れやすいが三本の矢なら折れ難い』毛利元就(1497〜1571)
そう、一人より二人の方が小早川の重圧も分散される。
先人の教えに習い、ここは矢代にも犠牲になってもらおう!
毛利元就
「私まで変な事に出すな」
……もうつっこむ余裕もねえよ。
一矢
「おい! ハァハァ……や、矢代!」
矢代
「あん? なんだよ? 手助けなんてしねえぞ!」
2.5m辺りまで差をつけられた俺は最後の切り札を矢代に放った。
一矢
「パ、パンツ……見えてっぞ」
よし、これで奴の足も今より自由に動けな―……。
矢代
「お前はチャック全開だけどな」
な、なにぃぃぃ!
バッと自身の社会の窓を確認。
……本当だ。
走りながらチャックを閉めるには玄人でも難しい。
公園での小便がここでまさかのタイムロスを与えてきたとは!
矢代
「それに俺のパンツ見たとこで誰が得すんだよ! 悪いが先に行くからなー!」
[背景:校門]
言うが速いか矢代はスカートを惜しみなくヒラヒラさせ校門の前を通過。
同時に戦いの終わりを告げるチャイムの音が鳴り響く。
門の前にいた小早川が門を閉める。
一度立ち止まりジィィィーっとチャックを閉める。
……確かに今日は終わった。チャイムも鳴ったしな。
だがな、矢代……お前の言ったことに一つ間違いがある。
俺は見たんだ……希望を。

……白か。
一矢
「得るものは……確かにあった!」
小早川
「いいからはよ来んか!」
[SE:殴る音]
気持ちのいいげんこつを小早川から頂戴し、引きずられるように登校を果たした。